F1の王者のバカンスをサポートしたある日の話。
2018年1月。僕はF1ドライバー ルイス・ハミルトンとサーフィンに行った。嘘のような本当の話だ。
今、振り返っても「生きてると何だって起こり得る」と思ってしまう。その体験を書き残しておきたい。
人生最大のサプライズ!全ては1本の電話から…
MOJANEでは、夏はスケートボードやサーフィンの道具を取り扱っているが、秋冬はスノーボード一色となる。
スノーボードシーズン真っ只中の1月9日の夕方、先輩Aさんから連絡が入った。
「モロ、大変だ。すぐにサーフボードとウェットスーツを用意できるか?ルイス・ハミルトンがサーフィンしたいと言ってるらしい。」
F1のシーズンを終えたルイス・ハミルトンは、スノーボードを楽しむ為にモンスターエナジークルーと北海道を訪れていた。
この時の北海道には、1月とは思えない異例の暖気が入り日本海が荒れた。波が来る。
どこからか波情報を得た彼らの間で「真冬の海でサーフィンがしたい」という話になったらしい。
そんな経緯で、現地スタッフから人を介して、Aさんの元に連絡が入ったのだそうだ。
「ハミルトンを含めた3~4名分の道具を明朝までに。」
北海道でも、寒冷地用のレンタルウェットスーツを揃えている店はさすがに無い。
夏とは違い、ウェットスーツ内に少しでも冷たい海水が入れば、すぐに体温が奪われていき、場合によっては命に関わる事態となる。
また、相手は体格の良い外国人、大きめのウェットスーツが必要だ。
F1界にはミハエル・シューマッハのトラウマがある。彼はオフシーズン、スキー中に大怪我を負い、F1ドライバーとしての機能を失った。とてもショッキングな出来事だった。万が一、世界のルイス・ハミルトンが事故や怪我を負ったとなれば…。重大な任務を命じられた僕の頭の中は煙が立ち上りそうなくらいフル回転した。
翌朝、エージェントが道具を取りに来るまでに、出来る限りの道具を揃えて、ハミルトンに北海道でのサーフィンを楽しんでもらわなければ。
急展開、ハミルトンに会える!?
その数時間後、更に興奮する連絡がきた。
道具のレンタルに加え、サーフポイントのアテンドを求められ、僕らが現地へ向かう事となったのだ。
僕は、すぐに翌日のお店を臨時休業とした。普段からプロスキーヤーやスノーボーダーをアテンドし、北海道のサーフポイントにも詳しいAさんは、大型車を手配してくれた。
僕も準備に取り掛かる。ルイス・ハミルトンの身長は僕とそう変わらないことは知っていた。
僕が用意したものは、ウェットスーツ3着 (DUSK,4DIMENSIONS)、ブーツ、グローブ、キャップ(O’NIELL,BLACCO, MAGIC)を6セット、サーフボード3本(3DIMENSION, FIREWIRE)。
撮影に備え、サーフボードはワックスアップを行い、サーフバケツやフィン、ポンチョ、日焼け止めなどの小物も集めた。
半信半疑で待ち合わせ場所へ
思いつく限りの準備を終えて仮眠をとったが、興奮、緊張、不安が入り混じり、眠れないまま朝が来た。
午前6時、冬の朝はまだ暗い。Aさんと合流し、僕たちは札幌を出発した。待ち合わせ場所の神恵内までは約3時間だ。
「あのルイス・ハミルトンが本当に来るのか?」今更になって、そんな疑いが頭をよぎる。
来なくてもおかしい話ではない、もしかすると来なくて当たり前なのかもしれない。それならそれで笑い話になるだろう。車内ではそんな会話が続いていたが、約束の時間が迫って来るにつれ、僕は「トップアスリートを1分たりとも待たせてはいけない」と妙に神経質になっていった。
普段と変わらぬ様子でコンビニ弁当を頬張るAさんに「時間、大丈夫ですか?」と何度も急がせ、車内では時計やメーターや窓の景色をひっきりなしに見回した。
アテンドに慣れているAさんは呆れ顔で「モロ、落ち着けよ。こっちが焦ったって仕方がないんだから。」と僕をなだめた。
モンスターエナジークルーが望んでいたドライパウダースノーは、北からの低気圧が絶対条件だが、天気予報では南西で発生した低気圧が上昇し、暖気が突き上げるように北海道に到達しようとしている。日本海側には南西からのウネリが届き、波が立つ可能性がある。
Aさんが予測した神恵内のサーフポイントは、波が立つ条件を満たしてはいたが、気象は常に気まぐれだ。神恵内までの道のりでは、到底サーフィンができるような波は見られず、不安は募るばかりだった。
少しの時間でもサーフィンが出来る状況になる事を祈るしかない。
目的地の海が見えてきた。
神恵内には見事にウネリが届いていた!荷物でごった返す車内で、僕とAさんは歓声を上げた。「フゥ~!!」
この時点でこのテンション、ハミルトン本人に会った時に僕はどうなってしまうんだろう?
なまらかっこいいハミルトン
集合場所に到着して間も無く、チームハミルトンと思われる2台のハイエースが現れた。タイミングはバッチリだ。
ルイス・ハミルトンといえばメルセデスAMGのドライバー。僕はてっきり、ハミルトンは現地で用意したベンツで登場すると思い込んでいたので「チームの取り巻きだけでハイエース2台分とは、流石だなぁ」と思った。まさかそのハイエースからハミルトンが降りてくるとは!
最初に降りてきたのは、チームハミルトンが滞在中の岩内リゾートのスタッフだ。僕たちが挨拶を交わしていると、ハイエースのドアが次々と開き、メンバーがゾロゾロと降りてきた。皆、ボディーガードさながらの体格だ。それに続いて、ルイス・ハミルトンがひょっこりと顔を覗かせた。
コーンロウに、ゼロベースのサングラス、褐色の肌。顔は小さく、背筋がピンとそり立っている。圧倒的なオーラを纏ったルイス・ハミルトンの登場だ!
北海道の田舎町でルイス・ハミルトンがハイエースから降りてきた。こんな超シュールな状況のお陰で、僕は何とか冷静を保っていた。「Hi LEWIS!!」と僕は彼に握手を求めた。前夜、何度もシミュレーションした挨拶も、ごく自然に伝えることが出来た、と思う。
暴風の海を前に、チームは何故か嬉しそうだ。北海道でサーフィンをする事に燃えているのだろうか、それとも、このワイルドな波に興奮しているのだろうか。
僕はマネージャーに「予報では、時間が経つ程に天気は悪化していく」と伝え、すぐに準備に取り掛かった。
日本のドライスーツをどうぞ
ハミルトンが日本でサーフィンをしたのは、この日が初めてだそうだ。
真冬のサーフィンも初めてだろうし、もしかするとウェットスーツを着る事自体が初体験かもしれない。
日本独特のブーツ一体型ドライスーツに、ハミルトンは少し戸惑っている様子だった。安心してサーフィンをしてもらう為に、本人だけでなくマネージャーにも説明した。
「このドライスーツは真冬用で、僕に合わせて作った日本製です。中にインナースーツを着るために大きく作られているんです。僕とあなたはだいたい同じ身長ですが、首や胸囲はもちろんあなたのほうが大きいから、少しきついかも知れません。もし、息苦しいと感じたら直ぐに海から上がってください。」
ハミルトンは初めてのドライスーツを着て楽しそうにしている。着心地に関しては多少無理をしてくれていたかもしれないが、問題なく着ることが出来て僕はホッとした。
そして、各部のサイズ感をチェックする。こんなチャンスは二度とないので、ハミルトンの身体のあちこちをペタペタと触った。お腹は当然シックスパック、F1のスピードに耐える太い首、一瞬のミスも許されないハンドリングを支える手腕、少しの緩みも無い、まるで美術の教科書に載っている彫刻のような身体だった。
当然かもしれないが、僕がこれまでの人生で見た中で、ダントツに格好良い身体だ。ただ、高校の同級生で体操部だった浜崎君に近いものがあったが…。
僕とAさんは、海でのトラブルを想定し、いくつかのサインを決めた。そして、僕のウェットスーツを着たハミルトンが、Aさんと一緒に海へ向かった。
ドローン2台、スチールカメラ4台を持ち込んだ撮影クルーが待機している。僕も時折カメラを構えて見守った。この状況の何処がプライベートなのだろうか。ハミルトンの一挙一動が常に注目され、撮影されている。
ハミルトンはちょうどこの時、SNSでの投稿が炎上し自身のインスタグラムを閉じていた。しかし、目の前でインスタのライブ配信をしていたので、ごく身近な人にのみ公開していたのかもしれない。
超人的体力と日本の優秀スーツ
この日の海は、ローカルサーファーでも敬遠するようなタフなコンディションだった。
荒波の下をダッグダイブで何度すり抜けてもハードなパドリングが待っている。ハミルトンは果敢に波に向かっていく。
1時間が経った頃、ハミルトンが海から上がってきた。悔しさを隠さず玉砂利で大の字になり、何か叫んでいた。クルーは「まぁ、いつものことだよ」と見守っている。
僕はハミルトンにウェットスーツの状態を聞いた「大丈夫ですか?水は入ってきていませんか?」すると彼は、暑がっていた!
真冬の海で1時間も荒波に揉まれたハミルトンが、「暑い」と言っている。僕は誇らしかった。
どうだ、これが日本のウェットスーツだぜ!ハミルトン、テストしてくれてありがとう(こんなこと本人には口が裂けても言えないが)。後日、ウェットスーツメーカーにこの事を報告すると、とても驚き、喜んでくれた。
500mlの水を瞬く間に飲み干し、ハミルトンは海に戻っていった。
コンディションは悪くなる一方だが、彼は諦めない。負けず嫌い、と一言で片づけることも出来るだろうが、この姿勢がトップアスリートの所以だと感じた。常人にはとても真似できない。
2度目の休憩を取るハミルトンに僕は「カレントに注意してください、テトラポットに吸い込まれたらアウトですよ!」と声を掛けた。そして、波が割れるポイントとタイミングも伝えた。
僅かな休憩で、再び海に入るハミルトン。疲れを全く感じさせない。その時、雲の隙間から神々しく陽が射した。それまで風に煽られ壁に隠れいてたクルーが一斉に撮影に入った。
結局、ハミルトンは3時間近く海に入り、パドリングをし続けた。唖然とするような体力と運動能力である。僕もAさんも、ただただ驚くばかりだった。
タイムアップ!撤収だ!
午後になろうとしていた。マネージャーから切り上げの合図が出る。「さぁ、撤収だ。」
気が付けば、周囲には人だかりが出来始めていたていた。やはり噂が広がっていたのだろう。僕らは急いで片付け始めた。
着替えを終えたハミルトンからウェットスーツを回収すると、肩の荷が降りてどっと疲れを感じた。
そしてハミルトンは僕たちにサインを書いて記念撮影にまで応じてくれた。
スタッフによると、パドック内でも彼がサインをする事は滅多にないそうだ。色紙には#44と書いてくれた。僕の一生の宝物だ。
そして、その後の食事にも誘ってくれた。スタッフに「本当に行っていいんですか?」と聞くと「是非来てください」とのこと。ドキドキしながらついて行くことにした。
ハミルトンはトロがお好き
到着したのは神恵内の老舗寿司屋、勝栄寿司。古い店構えだが、地元客だけでなく遠方から何度も足を運ぶ人がいる有名店だ。黙々と寿司を握る職人肌の店主と、気さくで明るい奥さんが笑顔で迎えてくれる。
偶然にも店主はF1の大ファンで、前日もダイジェストを観ていたという。ハミルトンの登場に驚きを隠せない様子だった。
僕はAさん、マネージャーと共にカウンターに座り、今日の出来事を振り返っていた。ハミルトンとクルーは座敷でリラックスしていた。ハミルトンはあぐらをかき、中央に構えている。どんな話をしていたのだろうか、カウンター席からは聞き取れない。
ハミルトンは出されたお茶を飲み干してから、次々と出てくるお寿司を手で口に運ぶ。特に中とろ「ファットツナ」が気に入ったようだ。醤油をたっぷりとつけ、一口で頬張る。僕は恥ずかしながらワサビが苦手なのでお寿司について語らないようにしているが、ホタテが驚くほど美味しかった。是非また行きたいお店だ。
僕は思い切ってハミルトンに、「この店のマスターがあなたのファンなので、サインを書いて貰えないか」と交渉した。彼は快諾し、カウンターの中に入って一緒に記念撮影まで応じてくれた。寡黙なマスターの笑顔を見ることが出来た瞬間だ。スーパースターの神対応に感動した。
トイレから出ると、ハミルトンが次に待っていた。「ルイス、今日は本当にありがとう。一つ一つが貴重な体験でした。」彼は笑顔で応えてくれた。
【勝栄鮨】北海道古宇郡神恵内村636-5 0135-76-5841
トップアスリートに影響されまくる
札幌までの帰り道、1日の出来事が非現実に思え、不思議な感覚を味わった。
ルイス・ハミルトンはいつからこんな生活をしているのだろう。いつも、どこへ行っても注目され、最高のパフォーマンスが期待される。
F1ドライバーのトレーニングは過酷を極めるという。体型の変化はマシンとの相性に密接に関わる為、体重や筋力、肺活量に至るまで、常に一定を維持しなければならないそうだ。ボクサーの減量トレーニングがずっと続くようなもの、と聞いたことがある。
プライベートな時間はあるのだろうか、ストレスとどう向き合っているのだろうか、北海道でリラックスはできただろうか、今日は楽しんでくれただろうか?余計なお世話だが、そんな事ばかりを考えてしまうのだった。
Aさんと別れを告げた僕は、実家へ直行した。タイヤメーカーに勤務していた父の仏壇に手を合わせたくなったからだ。父は、この夢の様な体験を喜んでくれるに違いない。
帰宅後は、ハミルトンが着たウェットスーツを勿体ぶりながら、感慨深く洗った。
どんなに急な話だったとしても、アクションスポーツのギアを販売する僕にとって、トップアスリートの為に道具を用意出来たことは光栄だ。
彼らに道具があれば、最高のワンカットを残す可能性がある。僕たちがいつもチェックしている映像作品や広告は、こんな瞬間の重なりからも生まれているはずだ。ほんの少しでも彼らの活動に協力できたのなら、これほど嬉しい事はない。
世界に名を馳せるトップアスリート、ルイス・ハミルトンは、スマートで洗練されていて、仕草のひとつひとつまで格好良かった。
影響されやすい僕は、すぐに彼がサポートを受けるPUMAの靴を買った。ルイス・ハミルトンのサインは、今も僕に夢と自信を与えてくれている。
スペシャルメンバーはビヨンドメダルズ‼
この日、他にも驚きのエピソードがあった。ハミルトンが海に入った後のこと。次は他のメンバーへのフィッティングが控えていた。3名分の準備はしてきたものの、事前に人数や体型等の情報が得られず、サイズが合うかは分からなかった。
「よし、次は君たちの番だ。足のサイズは?手のサイズは?」それまでの準備も積極的に手伝ってくれていた彼らは、とてもフレンドリーで現場を楽しんでいる様だった。
ふと、皆が揃ってモンスターエナジーのキャップを被っていることに気が付いた。「これはただのスタッフではない…。」失礼を承知で訪ねてみると、彼らはプロスノーボードチーム、ビヨンドメダルズのケビン・バックストローム、セッペ・デ・バッグ、トアー・ランドストロームだったのだ。
「Oh my gush!許してくれ!ビヨンドメダルズの事はもちろん知っているよ!ハミルトンの事で頭がいっぱいだったんだ!」僕とした事が何故気付けなかったのだろう。彼らは笑って理解してくれた。そして、僕はスノーボードショップをやっていて、君たちのビデオをいつも見ていると改めて自己紹介をした。
思いがけない幸運な展開だったが、彼ら全員にフィットした道具を提供出来なかったことが悔やまれる。こうして無事、チームハミルトンが海へ入っていったのだった。後片付けまでしっかり手伝ってくれるナイスガイたちだ。
ビヨンドメダルズの動画にこの日の様子が記録されている。
チームハミルトン、 ビヨンドメダルズ 、現地スタッフの皆さん、勝栄鮨のご夫妻、そしてAさん。この日関わった全ての人に感謝。
神恵内について再度探し物をしていたところ、こちらのブログに辿り着きました。その節はありがとうございました。当時現地のマネージャーをしていた目黒です。
かなり夜遅く、そしてかなりの無茶振りに対応してくださり、現場もMOROさんのお陰でハミルトンさんもその他のゲストも大喜びで帰られた記憶が残っています。
またぜひ宜しくお願いします!笑